ARJ Magazin Vol.005「大卒直後にJ1スタメン。日本トップリーグは別世界」

【名前】金子昌広
【経歴】ヴァンフォーレ甲府/ツエーゲン金沢/奈良クラブ
【生年月日】1991年2月2日

学生時代について

ーサッカーを始めたキッカケを教えてくださ

幼稚園児の頃にサッカーを始めたのですが、通っていた幼稚園にサッカースクールがあったので、そこで自然とサッカーをしていましたね。

近隣の幼稚園と交流があって、よく試合をしたりしていました。自分は長男なので、兄弟の影響とかではなく、幼稚園の環境がサッカーを始めるキッカケを与えてくれました。

ーサッカー選手を目指したのはいつ頃からでしたか?

小学生の頃から、「サッカー選手になりたい」という気持ちはあったのですが、やっぱり“遠い先の未来”で、現実味もなかったですし、憧れというだけでした。

ただ、自分の中で「目標が近づいたな」と感じたのは大学生の頃で、プロと対戦したりする中で、サッカー選手になることを本気で目指したいと思いましたし、可能性を感じました。

自分は国士舘大学出身で、Jリーグのチームとよく練習試合があったのは大きかったですね。

ーどのようなことを意識して取り組んでいましたか?

何か特別な取り組みをした記憶はないのですが、プレーの浮き沈みがあった時に、あまり考えないようにしていました。考えてプレーし過ぎて、普段ならドリブルで抜けるところが、急に抜けなくなったりすることがありました。

その時に、ただただトレーニングをやっても何も変わらないですし、しっかり自分を分析しながら、たまにサッカーから離れたり、自分を見つめ直す時間を作ったりしていました。

そうすると新しい発見があったりとか、自分1人で考えるだけではなく、仲間とのコミュニケーションから解決策を導き出したりしていましたね。

プロサッカー界について

ーサッカー選手の魅力を教えてください

やっぱり「プロサッカー選手」というだけで“見られ方”というのが全然違いますし、色々な影響力を持つことができたりとか、正直プロサッカー選手になった人にしか分からない魅力はたくさんあると思います。

ープロサッカー選手になって最も苦労したことを教えてください

大学を卒業してプロに入って、しかもJ1からスタートできて、開幕もスタメンで出場できて、「自分も行ける」と思っていたのですが、結局相手に分析されたりとか、自分のコンディションも上がらず、チームとして勝てなかったことも重なり、段々と試合に絡めなくなったことです。

大学生からプロになり、大学では通用していたフィジカルが、プロでは通用しなかったというのが、自分の中では苦労した部分ですね。

ーサッカー界に入って驚いたことはありますか?

やっぱり、トップトップは凄かったです。単純に“質が違う”と改めて思いました。

先程、大学生時代に「プロと練習試合をよくしていた」と言ったと思うのですが、練習試合と、公式戦は本当に別物で、練習試合では「やれる」と感じても、いざ実際にプロのピッチに立ってプレーしてみると、物凄い違いを感じましたね。

これからについて

ー今後のキャリアについて教えてください

「できるところまでやる」という気持ちは一番にあります。

ただ、年齢的にも自分の中で“線引き”というのは少しずつ考えながらプレーするようになっています。

ーセカンドキャリアでのビジョンはありますか?

20代はサッカーだけのことを考えていて、そこまでセカンドキャリアのことを考える余裕もなかったですし、考えたくもないというのがありました。

ですが30代に入り、年齢の近い選手たちが引退していくのを見たり、聞いたりしていると、自分もいつかそういう時期がやってくることを想像して、やっぱり怖くもなります。

そういう意味では少しずつ先のことを考えるようにもなり、見えてきた部分もありますが、まだまだ考えないといけないと感じています。

ー最後にアスリート、体育会学生にメッセージをお願い致します

色々な選択肢を持って欲しいというのはあります。

プロだけが全てではないと思いますし、もしかしたらプロではない、違う世界で成功する人もいると思います。

なので、現役時代から自分のことを見つめ直して、色々なことに挑戦しながら自分のやりたいことを見つけて欲しいと思います。

ー本日はありがとうございました。

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