【名前】鈴木準弥 【経歴】VfRアーレン/藤枝MYFC/ブラウブリッツ秋田/FC東京 【活動】キックスクール/ドックラン建設/妊婦さんへの支援
学生時代について
ーサッカーを始めたキッカケを教えてください
サッカーを始めたのはたしか5、6歳だったと思います。小さい時はとても泣き虫で、4人兄弟の一番下なこともあって家から離れるのが凄く嫌で、親が水泳や空手に連れて行ったりしてくれたらしいのですが、泣いて逃げ出すくらいだったらしくて。
ただ自分が通っていた幼稚園にサッカースクールがあって、そこに通わせてみたら、大泣きしながらも「ここに行く」と自分で決めて行ったらしいです。
色々選択肢があった中で消去法のような形でサッカーを始めたのがキッカケでした。
ーサッカー選手を目指したのはいつ頃からでしたか?
小学2、3年生頃だったと思います。僕は静岡出身なのですが、親と近くで開催されていた清水エスパルス対ジュビロ磐田の試合を見に行った時に、「サッカー選手ってカッコいいなぁ」と思ったことがキッカケでした。
幼稚園から始めたサッカーも続けていましたし、そこで「サッカー選手になろう」と思いましたね。
ーどのようなことを意識して取り組んでいましたか?
とにかく何か自分の“武器”を身につけることを意識してトレーニングしていましたね。
小学生の頃はサッカー選手を目指してはいたものの、どちらかと言えば楽しみながらプレーしていましたが、中学、高校、大学と年齢を重ねるにつれて、よりプロのことを意識するようになりました。
さらに県大会、全国大会などで様々な経験を経ていくごとに、プロサッカー選手になるためには、自分の武器を磨かないと上にはいけないと感じていたので、そこは強く意識して取り組んでいましたね。
プロサッカー界について
ーサッカー選手の魅力を教えてください
やはり一番は人々に様々な影響を与えられることだと思います。
例えば握手をしたり、サインを書いたり、写真を撮ったりするだけで本当に凄く喜んでくれる方々がいて、そういう方々が日々の仕事とか、練習とか、「また頑張ろう」と思えるキッカケを与えることができる仕事はあまりないと思うので、そこがサッカー選手の最大の魅力だと感じますね。
ープロサッカー選手になって最も苦労したことを教えてください
バイトをしていた時ですね。藤枝MYFCに所属していた時に、バイトを2つ掛け持ちしながらプレーしていました。
ビニール工場で働いていて、夜の9時半くらいまでサッカースクールをやって、そして次の日の朝からトレーニングをして、という生活でとてもハードでした。
さらに、自分で言うのもなんですが、大学まで割とエリート街道を走ってきた中で、同じ大学選抜でプレーしていた選手たちがJリーグや日本代表で活躍しているのを見ていて、自分は週1回の休みの日もバイトをしながらで、その時は体力的にも精神的にも一番キツかったですね。
ーサッカー界に入って驚いたことはありますか?
2つあって、1つ目はサッカー選手の価値の高さ。2つ目はお金の部分です。
サッカー選手というだけで周りの方々から凄いと思って頂けますし、お金のところも自分はバイトをしながらのプレーから始まっているので、J1は特に凄いですし、そこもサッカー選手の魅力の1つですよね。
これからについて
ー今後のキャリアについて教えてください
年齢的にもここから数年で自分のサッカー人生のピークがやってくると思っているので、そこで何とかJ1というステージでしっかり結果を残す。日本最高峰のリーグで長くプレーすることが直近の目標です。
ですが、いずれは自分の地元のサッカークラブでプレーすることは考えていますね。
ーセカンドキャリアでのビジョンはありますか?
明確に今は会社でこういうビジネスをやってみたいとかはないのですが、やはり経営者にはなりたいと思っています。
色々なことに興味があって、もちろんサッカーもそうですけど、色々な分野に携わりたいと思っていて、例えば犬のこととか、妊婦さんの支援だったりとか、人や地域のためになるような企業の経営者になりたいと思っています。
ー最後にアスリート、体育会学生にメッセージをお願い致します
迷ったらまず行動した方がいいと思っています。これまでスポーツ一本で勝負してきた学生やアスリートにとって、もちろん考えることは必要だと思うのですが、それよりもまずは行動してしまう。そこに色々ついて来るものだと思っています。
行動をすれば、「自分は〇〇になりたいのかな」「これは違うのかな」とか色々見えてきて、一歩先に進みますし、キャリアの悩みを解決したければ、迷うくらいならまず何かしら行動することを僕はオススメしますね。