【名前】川原 那月
【経歴】ガイナーレu-18→大阪成蹊大学
高校時代について
ー高校でサッカーを引退した経緯を教えてください。
自分の中で、12年間サッカーをしてきてプロになりたいという意思もありました。
しかし、高校3年間で思うような形にならず、プロに近づけませんでした。
その中で、新しいチャレンジとしてフットサルという新しい競技に転向しようと決めました。
ー大学でフットサルを選んだきっかけを教えてください。
僕は出身が鳥取で、知り合いが鳥取でフットサルチームの監督をしていました。高校時代、僕たちはコロナ世代と呼ばれていて、休校であったり練習もない時期が続きました。
その間、鳥取のフットサルチームに参加させてもらっている間にフットサルが好きになり、新しく挑戦するならフットサルだと思っていました。
ー大阪成蹊大学に進学した経緯を教えてください。
高校の監督の教え子が大阪成蹊大学からプロになったことを聞きました。
練習参加した際に強度も高く、技術的な面でも代表の選手なども居て違いを感じ、ここでなら4年間で上手くなれると考え進学しました。
大学サッカーについて
ー入学してからのギャップはありましたか?
鳥取にいる時は試合がメインで楽しいことの方が多かったですが、日本1を目指したり日本1を取ってきたチームとなると、ウェイトや走りの部分がありました。
そういう部分がギャップというか、薄々感じてましたがやっぱりあるのだなと思いました。
ーギャップを通して変化はありましたか?
お菓子やジャンクフード、炭酸などは本当に控えるようになりました。
起きている時間はフットサルのことを考えるようになりました。
-入部して成長を感じたことを教えてください。
フットサルをがむしゃらにやっていた自分から、今は入部して2ヶ月経っていて、考えながらプレーするようになりました。
ー考えられるようになったきっかけはありますか?
最初の1ヶ月は戦術的なことは知らず、走ることや戦うことをしていました。
その後、監督から3年生の自分に似ている選手に話を聞いてみろと言われ、その選手は試合中にたくさん考えていました。
練習に入ってない時や試合に出ていない時も常に考えていて、自分もそれに習って考えることを増やしたら、考えられるようになりましたね。
ー役職について。
学年リーダーという役職にキャプテンから指名されました。
ー学年リーダーになった経緯を教えてください。
僕は結構試合中に声を出したり、元々キャプテンや副キャプテンをしていたので周りを見る力があると思っています。
その部分をキャプテンや副キャプテンが見てくれて、1年生の中から選んでくれたのだと思います。
ー学年リーダーをしていて難しい部分はありますか?
試合に行く時の荷物の確認や休んでいる人の確認など、仕事が増えたことで責任を感じています。
ー大学フットサルの魅力を教えてください。
僕たちは関西リーグ1部で戦っているのですが、僕たち以外大人のチームが多いです。
大人のチームより若さの部分で走れたり身体を張ったりできます。
チームのビジョンである「勇気、感動、希望を与えられるチーム」というところで、その3つを与えられると思っています。
他の大学よりも大阪成蹊大学はそこにフォーカスしているので、そこが1番の魅力だと思います。
がすごいですし、寮生活ということもあり、みんなが仲がいいと思います。
これからについて
-今後のキャリアについて教えてください。
自分はフットサルでプロを目指すというところに重きを置いていて、この4年間でどれだけ違いを出しFリーグに行くかを意識しています。
この4年間の間に代表に入り、Fリーグに特別指定で出たりすることが目標です。
その後のキャリアはまだ深く考えていないですが、好きなことでご飯を食べていく事が1番幸せな事だと思っています。
嫌な事でたくさん働いていく人生ではなく、自分の好きなことで生活できるような人生にしたいと思っています。
-最後に、体育会学生にメッセージをお願いします。
自分も含めて体育会はチーム内や試合でも競争があり、その中で大事だと思っているのが、自分が何になりたいかや、ゴールをぶらさないことです。
今日この試合に出れなかったからもうダメで、スポーツ人生が終わるなんてことは絶対にないです。
自分の夢やゴールに近づくために、次の週から頑張るなど、自分がなりたい姿やゴールを忘れずに頑張って欲しいです。
落ち込むよりも反骨精神を持って頑張ることが大切だと思います。
ー本日はありがとうございました。
(この記事は2023年6月16日にインタビューさせていただいたもの掲載しています。)